騎馬民族に関する研究

いま騎馬民族がアツい。

どうもwc11です。
ごく個人的にですが、ただいま騎馬民族に対する興味が
高まっております。

匈奴とか、鮮卑とか、契丹とか、そこら辺の民族ですね。

元々中国史が好きで、中華の周辺異民族について調べている
うちに、面白いなーと興味をそそられました。

個人研究の為にまとめますが、せっかくなら読みやすい形
にまとめて誰かに共有出来たらいいなと考えて
ブログに書くことにしました。

山越や倭人にも興味は広がっているのですが
そこまで話を広げるとワケ分からなくなるので
とりあえず騎馬民族についてまとめてみる試みとなります。

よろしくどうぞ。

騎馬民族、遊牧民とは

騎馬民族を説明するには、遊牧民の話をする必要があります。
騎馬民族が遊牧民とセットで語られるのは
その発祥に密接に関係しているからです。

遊牧民というのは読んで字のごとく、遊牧を生業とする民族
や人々を指します。
遊牧とは、家畜と共に生活資源である自然の水や草を
求めて移動を繰り返して、家畜から得られる乳・肉・皮などを
生産する農業方式です。牧畜業の一形態ともいえます。
その生産物を自給的に消費する暮らし方を遊牧と指すことも
あるみたいです。
労働者たる人間は移動式のテントの中で寝起きして生活します。

彼らが育てる家畜は2種類あり、ひとつが生産物としての家畜。
乳、肉、皮、骨、角を生産するための羊や山羊や牛馬にトナカイ
なんかがこれに当たります。
もうひとつが遊牧生活をサポートする家畜。
人が乗ったり、荷物を運んだりする動物で、牛馬やトナカイ
ラクダなどですね。
このような家畜たちを育て、飼料を求めて移動するのが
遊牧なのです。

また似たような言葉に放牧や移牧というものがあります。
これらも遊牧とならぶ牧畜業の形態の名前です。
放牧は広大な土地に家畜を放し飼いにします。
しかし必要に応じて家畜を畜舎に収容もするのです。
特に夜間は野盗や、狼などの獣から家畜を守る必要
があるからです。
建物としての畜舎をもち、人間もまた、建物の中で生活します。

移牧は一部地域に見られる形態で、放牧の応用形。
夏は高地で放牧し、冬は低地で畜舎にて家畜を育てるのです。
こちらも放牧と同じく人間も家畜も建物の中で生活します。

どちらも建物が生活の中心にあり、ある程度定住性が強く
テントを使って移動生活が主になる遊牧とは違うんですね。

遊牧民の登場

さて、遊牧民と騎馬民族が誕生した経緯のお話です。
僕自身は遊牧騎馬民族って農耕民族と対になる存在で
民族が成立する過程で、農耕生活を選ばなかった人たちの末裔
のようなそんなイメージがありました。
しかし実際は遊牧民とは農耕民からスピンアウトした存在でした。

その要因は、気候変化と、冶金技術の発展にありました。

後に遊牧民となる人々のルーツは紀元前5500年頃の
メソポタミアになります。
このメソポタミアでまず気候変動が起こりました。
この頃気候の温暖化が進み、西アジアの草原が乾燥化します。
乾燥するとなると植物にとっては当然生育しにくい環境と
なってしまいます。
一部地域を除き西アジアは、背の低い草しか生えないような
広く乾燥した草原となるのです。
こうなると農耕に適した土地というものが限られてきますが
そういう土地の集落に人口が集まり都市として発展します。
肥沃な三日月地帯などがそのような都市に適した典型になりますが
都市では麦の栽培が急拡大し、羊などの家畜、ひいては牧畜業に
たずさわる人間は外に押し出されていきます。
幸いにしてその押し出された先は草原、農耕が出来る程の水分
はありませんが、牧畜には適していました。
後に遊牧民文化を築いていくことになる人々は
そんな草原地帯に飛び出していったのです。
とはいえまだまだ定住性が強く、遊牧を営むにはもう少し技術の
発達を待つ必要があります。
草原地帯に進出当初は放牧に近い牧畜形態だったのかも知れません。

また、草原への進出当時、馬は家畜化されておらず
縦横無尽に駆け回るような感じではありませんでした。
当時すでに車輪は発明されていましたが厚く重たい円盤状のもので
車も大変重たいものでした。
運送や移動に便利なモノには違いありませんでしたが
牛でなければ曳くことができず取り回しが少し悪いものでした。

しかし冶金技術の発達が牧畜民に大きな変革をもたらします。
前2500年頃から約1000年以上の時間をかけて
青銅器文化が実用的なものに成熟していきます。
最初はまったく実用的な道具は作れなかったものの
前1300年頃には短剣、斧、ナイフなどが作れるまでになり
その中で馬具が開発されました。
その馬具とはハミと、ハミ留め具というものです。
ハミとは馬の口に噛ませる棒状の金具、ハミ留め具とは
馬の口の両端から飛び出たハミを手綱に連結させる金具でした。

馬の口の横に見える金属の輪がハミ留め具、                                   
口の中にあって見えないけれど棒状のハミをくわえている                             


この二つの金具によって人は手綱によって馬を制御するのが
可能になり騎乗という技術を習得しました。
まさに画期的な発明を冶金技術がもたらしてくれたのです。
ここでようやく牧畜民が、広い草原を馬を駆って生活する
ための下地が完成したのでした。

遊牧民の暮らし

それでは、そうして草原地帯に生活の基盤を移した牧畜民
もとい遊牧民たちはどのような生活をしていたのでしょうか。
歴史上の遊牧騎馬民族というのはスキタイ、匈奴、モンゴル
など多様な民族と国家があったので、同様の生活をみんなが
営んでいたとは一概には言えません。
ですが、厳しい乾燥地帯で一年を暮らしていくための知恵や工夫
そこから織りなされる暮らしというのは共通点も多いです。

家畜を引き連れ移動をする、テント式の住居で暮らす
家畜の世話や乳製品の製造をしたり家畜のフンを集めて日中を
過ごす、交易も重要な産業、などの点が主な共通点でしょうか。

遊牧民は家畜がエサを食い尽くさぬよう移動をします。
大自然の中で暮らしているためその時の状況によっても移動を
行うこともあります。
勝手気ままにフラフラしているような印象を抱くかも
知れませんが、実際は集団ごとに一定の縄張りをもっており
その地域内の決まったポイントを転々とします。
場所ごとで牧畜を営み、そこの牧草を食べつくさない内に
また次の場所に移り、地力が失われないように工夫しています。
そんな生活をするため、家屋は移動に便利なテント式の住居を
用います。
テントの生地には動物の毛を織ったものが使われます。
特に、ヤクの毛で作られた生地は晴れた日は乾燥して目が開き
通気性がよくなり、雨が降ると水分を吸収して目がギュッと
閉じて密閉性が高くなり雨水を通しません。
人はこのテントで寝起きするし、生まれたての家畜を保護
するのにも使われたりします。遊牧民たちの生活の中心です。

遊牧民たちの仕事というのは当然、家畜たちを基盤とした
ものになります。
民族ごとの暮らしている地域の気候によって違いがありますが
基本的には夏は牧畜業が忙しく、冬は特段仕事が無く
のんびり過ごせるみたいです。
朝起きたらヤクの乳を搾り、その乳を素材に撹拌機を使って
バターを作ったりチーズを作ったりします。
これは冬の間の保存食にもなるため、たくさん作り置き
しておきます。
それからヤクや羊の毛で毛糸を作る、馬の尻尾の毛で紐を作る
家畜のフンを集めたりなど、大自然の恵みから生活物資を
まかなっている彼らなので夏は忙しいです。
しかし冬は比較的のんびり過ごせます。やることといえば
家畜のフンを集めるくらいです。
フンは燃料として使うために集めます。
草食動物のフンは牧草が適度にほぐされて出てきているため
うすく延ばして乾燥させると、まるで石炭のように長く燃え
燃料としては最適です。乾燥して薪となる木すら貴重な
草原の中では重要な生活物資です。
のんびりしたように聞こえる冬場の暮らしですが
実際は命がけの必死なもの。
なにせ冬の草原は吹きっさらしの極寒の大地です。
モンゴルでは-40℃ほどまで気温が下がり、死んでしまう
家畜が出てきてしまうほどです。
そんな冬をなんとか越せるように夏~秋にかけては
頑張って干し肉や乳製品などの保存食を作りだめします。
冬が本格化する前に北風から身を守れるよう山の麓に
テントを移したりすることもあるみたいですね。

そして遊牧民のもうひとつの重要な産業が交易業です。

基本的には牧畜業従事者な彼らなので、肉や乳、毛皮なんかは
潤沢に手に入りますが、その移動生活故に自給できない
ものも当然出てきます。
それは穀物だったり、定住しないと作れないような工芸品
だったりするわけですが、生活には必要です。
そこでそれらを持っている農耕民と接触して物資を得るのです。
日々馬を駆って草原を駆け巡る移動力の高い遊牧民たちは
そうやって方々走り回って物資を得る術に長けてきます
そのうち、遠くの土地にある珍しい物を持っていて交換
してくれる人々と、農耕民の目には映るようになります。
遊牧民は自分たちの生活スタイルを生かして交易の担い手
となって活躍もするのでした。

遊牧民の分類、分布

そういうわけでメソポタミアの肥沃な三日月地帯から追い出される
形で荒野の草原地帯で活動する形になった牧畜民が冶金技術を
発達させ、関連して騎乗技術も習熟して遊牧民となりました。
ここで遊牧民と騎馬民族はニアリーイコールな関係にも
なっていきました。
一番最初に遊牧騎馬民族として台頭したのは南ロシアの草原で
活動したスキタイという民族でした。
その後、数多の遊牧騎馬民族が勃興し、互いに関わり合ったり
争ったりしながらユーラシア大陸の中央部で生活しました。
ここでさらっと簡単に、どんな民族がいて、どういう分類が
できるのか簡単に示します。
ただ、言語系統不明だったり諸説あったりするものも
多いので、あくまで一例です。
たぶん、今後書き直すと思います。

〇インド・ヨーロッパ語族
東欧やウクライナ周辺をルーツに持つ民族
スキタイ、月氏、烏孫、堅昆、エフタル、キンメリアなど

〇アルタイ語族
・テュルク系民族
東シベリアからトルコ周辺、中央アジア東欧にかけて
ユーラシア大陸にたすきをかけたように分布した民族。
丁零、匈奴、高車、鉄勒、突厥、回鶻、フン族、アヴァールなど

・モンゴル系民族
モンゴル高原を中心に活動した民族
東胡、烏桓、鮮卑、柔然、契丹、タタール、モンゴルなど

・ツングース系民族
シベリアや中国東北部で活動した民族。
エヴェンキ族、満州族など

〇ウゴル語族
ウラル山脈南東、シベリア西部に分布した民族。
マジャール人

〇シナ・チベット語族
東南アジアやチベット高原で活動した民族。
羌、氐、吐藩、タングートなど

騎馬民族の歴史的な意義

現在の主要先進国はほとんど農耕民族の国です。
もちろん日本も農耕民族の国家です。
そんな私たちからすると遊牧民や騎馬民族は気ままにフラフラ
していて、ときおり略奪なども働いたりして、ともすれば
野蛮で後進的な人々に映るかも知れません。
しかし遊牧民が歴史に与えた影響というのは計り知れず
農耕民も遊牧民も互いに影響し合い、互いに高度な文明を
築いていきました。遊牧民なくして文明無し、なのです。

馬を用いた高い機動力で広大な土地を移動する遊牧民は
交易の担い手としてモノや情報を農耕社会にもたらしました。
これによって点在した文化圏がそれぞれに孤立することなく
結びつき、広がり、文明を作るのです。

また農耕民も遊牧民にとってなくてはならない存在です。
厳しい自然の中での生活は不安定な面も多く、農耕社会に
頼らなければならない場面も出てきます。
定住しているからこそ獲得できる重要な資源、穀物や工芸品
などを得る事は遊牧民には不可能でした。
相応の設備投資と技術の研鑽が不可欠だからです。
それを得る為にも遊牧民たちは交易を行い、時には略奪も
行いました。そうして彼ら自身も生活が潤い文化を
発達させていきます。

遊牧民は資源の運び手、そして時に文明の破壊者として
農耕民は資源の作り手、そして時に文明の防衛者として
互いに支え合い、壊し合い、屈したり立ち直ったりしながら
今日までの文明を作り上げていきました。
まったく違う暮らしをしている人々がいたからこそ
農耕民は発展し、歴史を紡いでいけたのです。

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